キャンドルとランプのイイお話

キャンドルとランプのイイお話

照明は火の歴史

照明の獲得は偶発的なものだった

ロウソクの話をしていくとやはり現在まで語り継がれている照明の歴史に触れておかなくてはならない。今でこそお洒落なもの、セラピーとして精神的な安定のために用いられるものといった趣味として利用する人が増えている。ただそれはロウソク、ひいてはキャンドルのり用としては正しくないと言っていいだろう。その本質はあくまで人々が夜でも光に包まれた暮らしが出来るようにするための手段であり、道具というのが本来の定義だ。古代エジプトから始まるロウソクの歴史、そこにロウソクの火に対して感傷的な思い、またキリスト教における聖なる浄化の炎としての性質が含まれたそれを、ただただ芸術的な美しさによって満たされたものである、などと考える人はいなかったと言ってもいい。

我々人がロウソクを照明として利用できるようになってから、ロウソクならではの問題点にも行き当たるなど、様々な照明道具が開発されていった。その過程で電気が発明され、電気による照灯、現在ではより明るくするためにLEDが開発されるなど技術も発明も進歩というスピードを緩めること無く、続いている。

人の歴史において光は無くてはならない存在だ、だが照明というものは人が自らの知的探究心によって発見したものではない、自然によって偶発的に生じたことで灯りと同時に、火というものを手に入れたことが全ての照明という歴史を導く始まりとなる。

香りつきロウソクで癒される

雷によってもたらされた恵み

自然と人間が切り離すことが出来ない双方依存関係、いつかの時代において人は自然よりも優位であると考えていた時代もあったが、それは現代になって見直されつつもある。自然の下に人は成り立っている、これは中世中期から後期にかけて抱いていた感情といえるだろう。それ以前の時代において人は常に自然の庇護によって生かされていたと自覚しているのが当たり前だった。灯りを手に入れたのも、自然がもたらした恵みとなっている。

照明の歴史も実際には詳しい起源はいまだ紐解かれていない、そのためはっきりとしたことは言われていないが、1つに古代エジプトの時代から語られるロウソクにも繋がる照明発祥は、落雷によってもたらされたと言われている。落雷から引き起こされた森林火災、人的被害もありうるそれは現在でも人に甚大な被害をもたらす存在だ。当たり前のように利用している火が使い方を間違えば、その刃を迷うことなく人へと突き立てる。だが誰かが火というものの存在を持ち帰ったことで、神がもたらした奇跡と讃えることとなる。

だが今と違って古代の人々にとって神からの贈り物と言っても、扱うには非常に勇気が必要だった。だがそれでも人は火にすがった、何故ならとても勝てなかった獰猛な動物達から身を守る有効な手段として、真っ暗闇の中で互いの顔を視認できるようにする光としての効果、厳しい寒さの中で火という存在がもたらす暖という意味、この3つが人という種族を繁栄へと導くこととなり、火を守ることも当時の人々にすれば大事な使命でもあった。

その火をロウソクに灯すことで灯りとしての性質だけを抽出したのが照明となる。今でこそスイッチ1つで、キャンドルにしてもマッチやライター、更には着火マンといった道具で簡単すぎるほどに火が点滅する。かつて火を点けるだけでも重労働だった事を考えると、信じられない。だからこそ火を付けるための道具を用いた原始的なやり方の難しさを体感すると分かる、日の有り難さと偉大さ。

人は常に自然による産物によって生かされている、照明という原点を探ってもそれは揺らぐことはない。

神がもたらしたからこそ

自然によってもたらされたからこそ、あらゆる宗教上で火という存在は神聖視されるようになった。中でもロウソクを用いた意味合いとして、神聖な炎を灯すことが出来る道具は仏への供物として捧げる、それが仏教においての考え方だ。キリスト教にとって神がもたらしたもの、炎のように偉大で荘厳たる存在として祀られているキリストを象徴するものとして十分過ぎる理由付けだ。神道にしても、神へ捧げる供物といった性質を持ち、人々の生活を支える道具として活用されていた。

手作りロウソク教室

火を讃えるように

照明の原点は火、あるいは炎として考えるのが適切だ。そこには照明だけではなく、寒さを凌ぐための手段、魔除けとしての象徴といったあらゆる意味を含むようになっていく。また火を用いて料理をする技術も登場するなど、人の生活において火の危険性を理解しながらも離れることの出来ないものという地位を確立するようになった。

その過程で安全に利用できる、物理的に火をおこすのではない照明なども開発されて行く歴史が、紀元前という黎明期から続いてきている。